東南アジア
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マラッカやホイアンなど異国情緒あふれる街へ

大航海時代をめぐる旅!ヨーロッパの面影が残るアジアの世界遺産

リスボンにある「発見のモニュメント」。先頭がエンリケ航海王子 photo:世界遺産イェーイ!

まだ見ぬ新大陸へヨーロッパ諸国から船に乗って漕ぎ出していく!「大航海時代」と聞くとそんな夢とロマンに満ちあふれたイメージが浮かんできます。実はアジアにも大航海時代と深く関わりのある街があり、そのいくつかは世界遺産にも登録されています。今回の記事では異国情緒あふれる、大航海時代に関連した世界遺産を6件ご紹介します。

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大航海時代とは?


スペイン・セビーリャ大聖堂にあるコロンブスのお墓 photo:世界遺産イェーイ!

大航海時代とは15世紀後期から17世紀にかけて、ポルトガルやスペインをはじめとした欧米列強諸国が、アジア、アフリカ、アメリカ大陸へ航海し、新しい交易ルートや大陸を発見した時代をさします。

きっかけはコショウやナツメグなどの香辛料。当時ヨーロッパでは肉が食べられるようになりアジアなどで生産される香辛料の需要が高まっていたのです。しかし、台頭してきたオスマン帝国が、地中海を経由する陸路での交易に高い関税をかけてきたため、ヨーロッパ諸国としては別のルートを見つけたかったのです。というわけで、まずはヨーロッパの外れにあり、高い航海技術を持っていたポルトガルとスペインが、海へ旅立ちました。

 

アフリカ大陸をまわりこめ!ポルトガルの新ルート開拓


バターリャにあるエンリケ航海王子の棺 photo:世界遺産イェーイ!

いち早くスタートを切ったのはポルトガル。まずはエンリケ航海王子がアフリカをぐるっと廻り込むルートでインドを目指して探検隊を派遣しました。その後1488年にバルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰に到達。1498年にはヴァスコ・ダ・ガマがインド西南部のカリカット(現在のコーリコード)に到達し、ついに香辛料をポルトガルに持ち帰ったのです!

その後スペインによる西廻り航路の発見などもあり、ポルトガルはアジア、アフリカ、アメリカ大陸へと進出し植民地を増やしていきます。インドのゴア、マレーシアのマラッカ、中国のマカオはその代表的なものです。ここで大航海時代のポルトガルに関連する世界遺産を2件ご紹介します!

 

世界遺産
マラッカとジョージ・タウン:マラッカ海峡の歴史都市 マレーシア

マレー半島に位置するマラッカは古代よりアラブ商人やインド商人が行き来し、様々な文化の影響を受けていました。13世紀頃商人たちからイスラム教が伝わり、14世紀末にイスラム国家マラッカ王国が建国。マラッカは香辛料貿易の中継地点として繁栄を誇ります。


マラッカにあるサンチャゴ砦 photo:ひさほ ゆう

そして1511年、ポルトガルはマラッカを占領し、マラッカを東南アジアにおける香辛料貿易の拠点としました。こちらの砦はポルトガル総督によって建てられたサンチャゴ砦。1511年にポルトガルがマラッカを占領すると同時に建設されました。写真に写っている大砲はオランダとの戦いに備えて作られたものです。その後マラッカは17世紀にはオランダに、18世紀からはイギリスの統治下におかれました。マラッカがいかに海上交易の要衝であったかが伺えます。


オランダ広場のムラカ・キリスト教会 photo:ひさほ ゆう

 

世界遺産
マカオの歴史地区 中国


聖ポール天主堂跡 photo:世界遺産イェーイ!

マラッカと同じく海上交易の要衝であったのが、現在は中国のマカオ。16世紀半ばからマカオにポルトガル人が居留するようになりました。マカオはポルトガルのアジア貿易の拠点となり大いに繁栄します。現在でも街中のいたるところにポルトガル植民地時代を彷彿させる建物を見ることができます。


聖ドミニコ教会 photo:世界遺産イェーイ!

マカオはイエズス会のキリスト教布教の拠点の地でもありました。街歩きをしていると、カラフルなコロニアル様式の教会に目を奪われます。

 

大西洋を進め!スペインの新ルート開拓

一方ポルトガルに遅れをとったスペインは、大西洋を横断する西廻りでインドに到達する航路にチャレンジしました。このルートを発案したのは、イタリアのジェノヴァ出身のコロンブス。1492年コロンブスはスペイン女王イザベルの支援を得て大西洋を横断し、アメリカ大陸周辺カリブ海のバハマにあるサンサルバドル島に到達しました。実はコロンブスは死ぬまでここがインドだと信じていました。その後イタリアのアメリゴ・ヴェスプッチが新大陸であることを証明したのです。

1521年には、マゼランがスペイン王カルロス1世の支援を受け、南米南端のマゼラン海峡を横断し、東南アジアのフィリピンまで到達。「フィリピン」という国名は、スペイン皇太子フェリペにちなんでつけられたものです。スペインはフィリピンの島を次々と占領し1571年にはマニラを陥落。植民地支配を安定させるためフィリピンの人々にカトリック教を広め、教会を建築していきました。そのため、現在でもフィリピンの各島にスペインの聖堂をモデルとした教会やスペイン風のコロニアルな街並みが残されています。ここで大航海時代のスペイン植民地時代を代表する、フィリピンの世界遺産2件をご紹介します。

 

世界遺産
フィリピンのバロック様式の教会群


マニラにあるサン・アグスティン教会 photo:ひさほ ゆう

世界遺産に登録されているのは、スペイン統治時代に建設されたバロック様式の教会4つ。フィリピン特有の地震や台風、そして西欧の攻撃から建物を守るため、石でつくられているのが特徴。


ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン教会 photo:ひさほ ゆう

こちらは、ルソン島北部ビガン郊外サンタ・マリアにある教会。堅牢なつくりで要塞も兼ねていました。こうした教会は「地震のバロック」とも呼ばれており、大地震や台風にも耐えうる構造となっています。

 

世界遺産
ビガンの歴史地区 フィリピン


スペイン風の聖ポール大聖堂 photo:ひさほ ゆう

ルソン島北部の港町ビガンは、中国やメキシコとの貿易の拠点でした。スペインの雰囲気が残された「ビガンの歴史地区」は、街がまるごと世界遺産として登録されています。

 

大航海時代に栄えた貿易都市も世界遺産!

大航海時代に大変栄えたのが、ヨーロッパ各国からの船が行き交う貿易都市。その中でも代表的なベトナムのホイアンや、タイのアユタヤは世界遺産としても登録されています。ホイアンもアユタヤも、コロンブスやマゼランなど著名な航海者がたどり着いた地!というわけではないのですが、大航海時代を支えた街であることは間違いありません。

 

世界遺産
古都ホイアン ベトナム


photo:ひさほ ゆう

ノスタルジックな街並みが魅力のホイアンは、古くは中国やインド、アラブを結ぶ中継貿易都市として名を馳せていました。16世紀からはポルトガル、オランダ、中国、日本から商人がやってきて国際貿易港として発展し、ベトナムの経済を支え続けてきました。


photo:ひさほ ゆう

大航海時代には日本人街や中国人街が作られ、多くのヨーロッパ人も住んでいました。当時は多くの船が行き交っていたであろうトゥーボン川は、その面影を今に伝えています。

 

世界遺産
アユタヤと周辺の歴史地区 タイ

アユタヤは、14世紀半ばから400年以上も栄えた王朝。3つの川の合流地点に位置し、東南アジア最大の貿易の都として繁栄を誇りました。16世紀初頭、ポルトガルをはじめ、イギリス、オランダ、フランスなどヨーロッパ諸国のほか、中国、日本などから商人がたくさん訪れ、さかんに貿易が行われていました。現在はアユタヤ王朝の繁栄をものがたる数多くの遺跡が残されています。


ワット・プラ・マハータート photo:世界遺産イェーイ!

こちらは13世紀に建てられたアユタヤを代表する寺院「ワット・プラ・マハータート」。かつては高さ44mの黄金に輝く仏塔が建っていたそう!18世紀にビルマ軍の侵攻を受け、現在はその面影は微かにしか残っていません。切り落とされてしまった仏頭は、長い年月をかけて菩提樹に絡み取られたために、驚くほど神秘的な雰囲気をたたえています。

 
海外旅行ができるようになった時に備えて、今は旅のイメージを膨らませる時。新大陸を求めて海に飛び出していった大航海時代について少し触れてからアジアを見てみると、改めて世界はつながっているというのを感じることができます。また欧米列強に支配されつつも、東洋と西洋が融合した独自の魅力ある文化を作り上げてきた、アジア諸国のしなやかな強さも見えてきます。

(text : 鈴木かの子)

【連載】世界遺産のプロが教える! アジア イェーイな旅

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