タイ
カルチャー
皇室とタイ王室の親密な関係の象徴

今やタイの国民食に。天皇陛下からプミポン前国王に贈られた魚「プラーニン」

著者撮影

3月5日、天皇、皇后両陛下はタイを訪問し、昨年10月に崩御したプミポン前国王を弔問した。両陛下の訪タイの様子は、もちろんタイのメディアでも大々的に報じられた。昨年、天皇陛下が譲位の意向を示された際にもタイでは大きく報道されており、日本の皇室への関心の高さがうかがえる。

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日本の皇室とタイの王室は昭和の時代から頻繁に交流を重ね、非常に親密な関係にある。両陛下は1991年に即位後初の外国訪問でタイを訪れており、2006年にはプミポン前国王の即位60周年祝賀行事に出席。一方、昭和天皇の大喪の礼や今上天皇の即位の礼には皇太子時代のワチラロンコン新国王が出席している。

そんな背景もありタイでは日本の皇室に対して一定の関心があるが、なかでも今上天皇は特別な存在感を放っている。その理由となっているのが「天皇陛下の魚」、プラーニンの物語だ。

「プラーニン」の日本名はティラピア。スズキ目カワスズメ科の淡水魚で、タイで最も消費量の多い魚だ。その養殖業は多くの雇用を創出しており、食文化だけでなく、産業の面でも現在のタイに欠かせない存在となっている。実はこのプラーニンが、天皇陛下と深いつながりを持っているのだ。

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東京オリンピックが行われた1964年の暮れのこと、当時皇太子だった今上天皇は美智子妃殿下とともにタイを訪問した。当時のプミポン国王と会談して食糧難にあったタイの現状を知ると、魚類学者としても有名な陛下はタンパク質源としてティラピアを育ててみることをプミポン国王に提案した。

陛下は帰国すると、赤坂御用地で育てられていたティラピア50匹を翌年の春にタイへ寄贈。プミポン前国王は宮殿の池でそれを飼育すると、ティラピアの特徴である育てやすさと旺盛な繁殖力でまたたく間に1万匹にまで稚魚を増やした。それらは水産試験場を通じて各地に送られ、タイ国民の食を支える存在となっていった。

プラーニンという名前の由来は諸説あるともいわれるが、天皇陛下のお名前「明仁」から取られたという説が有力だ。華僑によって「仁魚」と漢字が当てられ、タイ語で「プラーニン」と呼ばれるようになったという。「プラー」はタイ語で魚を意味する。

タイの市場を歩けば、店頭にずらりと並ぶプラーニンをすぐに見つけることができる。価格は1キロ程度の大きなもので80バーツ(約250円)ほどだ。売り場には客足が絶えることはなく、小さな子供連れで訪れていた主婦は「今晩のおかずです。安くて家族みんなで食べられるので、よく買いに来ます」と話してくれた。

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ナイトマーケットや街角でもプラーニンの姿を目にすることができる。タイの町並みを歩いたことのある人なら、ずらりと並んだ大きな魚が回転しながら店頭で焼かれているのを一度は目にしたことがあるのではないだろうか。

今や国民食となったプラーニンがもともと天皇陛下から贈られたものであることは、タイ人の間では一般によく知られている。横浜市在住のタイ人、ケンさんは「プラーニンが日本の天皇陛下から贈られた魚であることは、タイ人はみんな知っていると思います。タイと日本の関係といえばプラーニン、という感じです」と語る。

両国の良好な関係を支えている皇室とタイ王室の親密な関係。タイの国民食であるプラーニンは、その象徴としてタイの人々の間に広く深く浸透している。

 
(text : 本多 辰成 )

 

連載「東南アジアと日本の絆」
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