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- 賭博の対象“ムエタイ”がセレブを魅了するスポーツに変貌
タイのスポーツと言えば、何を思い浮かべるだろうか? 男女ともに世界ランキングトップに立つセパタクローも有名だが、やはりタイ発祥の格闘技であるムエタイのイメージが強いだろう。格闘技の世界では「世界最強の立ち技」と名高く、広く世界に知られている。
ムエタイの歴史と伝説のヒーロー
ムエタイの歴史は古い。はっきりとした興りは不明だが、その起源は14〜18世紀のアユタヤ時代にまで遡る。当時のタイは常に隣国のミャンマーによる侵略の脅威にさらされており、素手で敵兵を倒す手段として編み出されたのがムエタイの始まりだったとされている。競技として確立されるまでは、「古式ムエタイ」として戦争の際の戦闘術と関わり合いながら発展を遂げてきた。
長い歴史を持つムエタイは、多くのファイターを生んできた。なかでも最も有名なのがナーイ・カノムトムとういうアユタヤ時代の選手で、囚われた仲間の釈放をかけてミャンマーの武術家たちを次々と倒したという伝説が残っている。小学校の教科書にも載っているほどの人物で、タイ人なら知らない者はいない国民的英雄だ。ムエタイがまさにタイの国技であることがよく分かる。
ムエタイのステータスを変えたスター、ブアカーオ
だが、タイにおけるムエタイのステータスは、実はこれまでそれほど高いものではなかった。競技が賭博の対象とされてきたことや、貧困層のスポーツというイメージが強かったためだ。貧しい家庭に育てば、「女は売春婦、男はムエタイ選手になるしか生きていく術はない」などとも言われてきた。国技とはいえ、尊敬や憧れの対象にはなっていないのが実情だった。
その状況が近年、大きく変わり始めている。きっかけは日本の格闘技ファンにもよく知られるタイ出身のムエタイ王者、ブアカーオ・ポー・プラムック選手の出現だった。世界に認められるスーパースターがムエタイ界に登場したことで、ムエタイを取り巻く状況は一気に好転していった。
ブアカーオ選手は1983年、カンボジアと国境を接するタイ東北部のスリン県に生まれた。多くのムエタイ選手たちと同じく、家庭は貧しかった。8歳でムエタイを始めると、タイ国内でタイトルを次々と獲得。2004年、21歳の時に日本で開催された「K-1 WORLD MAX」に初出場すると、圧倒的な強さで勝ち進み、決勝戦では前年のチャンピオンだった日本の魔裟斗選手を倒して優勝を飾った。
2006年にも同大会で優勝して史上初の2度目の王者となり、「史上最強の王者」とも評されたブアカーオ選手は、魔裟斗選手のライバルとして日本でも一世を風靡。容姿も端麗なことから女性ファンの人気も集めた。そんな海外でのブームもあって、タイ国内でもブアカーオ人気に火が付いた。どちらかといえばネガティブなイメージがつきまとっていたムエタイのイメージが、徐々に変わっていった。
それまでムエタイに興味を持つことなどありえなかった都会の若い女性やセレブたちなども、今ではムエタイの試合を観戦することも珍しくなくなった。ブアカーオ選手の圧倒的な人気が、国技の地位を劇的に変えたのだ。国技のステータスが、海外から「逆輸入」されたような不思議な展開ともいえる。
ムエタイから学ぶ、日本国技のこれから
その流れで、近年はエクササイズとしてのムエタイ人気も急上昇している。ブアカーオ選手の登場以前は、暴力的なスポーツとして子供たちの習い事としても不評だったのが、今や女性まで巻き込んでエクササイズとしてのムエタイが定着した。タイ在住の外国人の人気も集めており、ムエタイに汗を流す日本人も少なくない。当然ながらムエタイジムも急増しており、ビジネスとしての広がりも見せている。
タイにおけるムエタイとは状況が異なるが、日本の国技である相撲も人気低迷に苦しんでいると言われている。タイでのムエタイを取り巻く状況がひとりのスター選手によってこれほど鮮やかに変化したことを考えると、やはり相撲界にも日本人のスターが現れることが人気回復への一番の近道なのかもしれない。
(text : 本多 辰成 )
スポーツコラム「スポーツが繋ぐ! 東南アジアと日本の新時代」
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