インドネシア
カルチャー
ニアス島 サーフトリップ 前編

心動かされるインドネシア・ニアス島への旅路

ニアスの夕陽②

飛行機のタラップを一歩一歩降りる。

「ただいまー!!」と心の中で叫ぶ私を、熱帯地域特有の生暖かい風が「おかえりー!」と言って包み込んでくれたように感じた。


 
ここはインドネシア・スマトラ島北部に位置する、メダン空港。
今回私が目指しているニアス島までは、メダン空港で乗継ぐ必要があるのだ。

空港の建物に入ると、さっそく「日本人、こっち来い」と個室に呼び込まれ、小銭をだまし取ろうとする空港の税関職員……。

インドネシアからスタートして2年もの間バックパックの旅を続けている私は、それを笑顔でかわせるくらいの余裕があった。「懐かしいな」とすら感じる、この空港職員の感じ……。

 
そう、私は世界一周を終えて、再びインドネシアに戻ってきたのだ。

「ただいま!インドネシア!!」

 
人口の約75%がイスラム教徒であるインドネシア。空港にはイスラム教徒がお祈りをする前に手足を洗う場所が設置してある。

写真1

もちろん礼拝用の小部屋も用意されている。

写真2

……とそこで昼寝をしているインドネシア人。

写真3

このゆるさ、インドネシアが私を魅了するポイントの一つである。(笑)

 
さて、メダン空港を経由して一路、スマトラ島沖に位置する小さな島「ニアス島」へ。

ニアス島もまた、日本人には有名かつ人気のある、ライト(※サーファー本人から右に割れる波)のパーフェクトバレルの割れるサーフポイントである。

ニアス島にあるグヌンシトリ空港へはメダン空港から小型飛行機で約1時間。そこからラグンドゥリとう村まで車で3時間。

ボディボードを背負った私を見て、すぐにラグンドゥリの宿の主人や、タクシーの運転手が声をかけてくる。

友人に勧められた宿に宿泊を予定していた私は、現地の人とタクシーをシェアすることにした。

 
ラグンドゥリまでの道のりの中、日本の「日の丸」のマークが付いた橋をいくつか見かけた。

「日本の国旗みたいなマークが付いてる」と言ったわたしに、タクシーをシェアしていた現地人が教えてくれた。

「日本の政府がお金を出して、橋を再建してくれたんだ。その橋には日本の国旗が目印としてついている。」

ここニアス島はインドネシアの中でも最貧地域の一つといわれ、2004年のスマトラ沖地震、2005年のニアス北沖地震では2000人にもおよぶ犠牲者が出ている。

地震によって大きなダメージを受けたニアス島。
そこで日本のODAによって、いくつかの橋が再建されたとのことだった。

「だから日本人には感謝しているんだ。」と屈託のない笑顔を見せてくれた。

一気にニアスと私の距離が縮まった気がした。

初めての土地なはずなのに、車の窓から見える景色もどこか懐かしく感じられる。

写真4

街を越え、車はさらに何もない道を進んでいく。

写真5

一つの小さな村についた。ここがラグンドゥリだ。

ここまで来ると、荷台にプラスチックの椅子を乗せた軽トラックがバス代わり。言うまでもなくこの道がメインストリートである。

写真6

 
メインストリートから数十メートル。
そこには真っ青な海が広がっていた。

写真7

目の前にはサーファーの姿も見える。
しかもファンウェーブなのに、人が少ない!!

写真8

 
海沿いに並ぶ、友人に勧められた宿に宿泊。

写真9

部屋から綺麗な海がみられるだけでなく、起きてすぐに波チェックができるのがいい。

 
だが、それだけではなかった。
ここには驚くべき景色が待っていたのである。

ニアスの夕陽③

 
後編へ続く。

 

(Photo & text: 響子)

 
サーフィンコラム「インドネシアの波に魅せられて……」
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