ラオス
カルチャー
熱帯写真家フォトエッセイ

観光化とともに変わりゆくラオス

LAO_001著者撮影   サイニャブリー県にて。地方はまだまだ昔の面影が残る

1990年代になり個人旅行者も自由に旅行が出来るようになったラオス。それまではラオスの国営旅行社を通して旅を手配しないと旅行が出来なかった。タイのノーンカイから渡し船でメコンを越えラオスのタードゥアに渡ったのも昔の話。

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今では4本の橋が架かり、5本目の橋も建設中で完成間近だ。パクサン(ラオス)とブンカーン(タイ)の国境は、今でも外国人が船でメコン川を越えられる唯一の国境がある。

当時はラオス国内の国道は道路状態が極めて悪く、ビエンチャンとルアンパバーンを結ぶ国道13号線もビエンチャンとルアンパバン近郊は舗装されているものの途中は未舗装がほとんど。ルアンパバーンからビエンチャンまで陸路で20時間以上かかった。今では8~10時間ほど。

長距離路線バスもほとんどなく、路線バスがあるところまでバスで行き、そこから先は物資を輸送するトラックにお金を払って有償ヒッチハイクをした。バスも大型のボンネット型トラックの荷台を改造した板張りの座席のトラックで、窓ガラスはなく、砂埃にまかれ深夜には冷たい風に吹かれた。ぬかるみの悪路でスタックしたときには、ラオス人と共にトラックバスを押したこともあった。それでも少数民族の集落を抜け、尾根づたいに続く赤土の国道をゆく旅は今でも深く心に残っている。

そんな道路状況ゆえ、長距離の移動は船の移動が多かった。小さな船にラオス人と乗り込み、悠々と流れるメコンを船で旅するのは楽しかった。ラオス人が持ってきたカオニャオや肉を分けてもらい一緒に食べたりもした。カタコトのラオス語を話すと嬉しそうに笑ってくれるおばちゃん、日が暮れメコン沿いの集落で泊まった時、一緒にラオラオ(ラオスの米焼酎)を飲んだおっちゃん。そんな出会いもラオスの旅だった。

今では道路も整備され定期船は消え、移動は大型バスになった。辛いラオスの旅も今は昔話になってしまった。

 
LAO_002著者撮影   メコン川にかかる5本目の橋。完成すると艀で渡る事もない

LAO_003著者撮影   かつてメコンを行き来した船は今は観光用として活躍している

LAO_004著者撮影   山で仕事をしてたゾウは観光客相手に仕事をするようになった

LAO_005著者撮影   開発の進む首都ビエンチャン

 
(text & photo : 中島貴義)

 

熱帯写真家フォトエッセイ「アジアの街角から」
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