タイ
カルチャー
熱帯写真家フォトエッセイ

水とともに暮らしてきたタイの人たち

水とともに暮らしてきたタイの人たち

0001
チャオプラヤー川沿いのレストランからワットアルンを望む

 

かつては水の都、東洋のベニスといわれたバンコク。人々は川とともに暮らしてきた。タイ語で川は「メー・ナム(母なる水)」といい、チャオプラヤー川は、タイ語ではメーナム・チャオプラヤという。

本文を読む

 
チャオプラヤー川を中心に無数の運河がバンコク市内にあった。運河を行き交う船はバンコクの日常風景で、支流と本流の交わるところには市場が栄え多くの人で賑わっていた。しかし、近代化とモータリゼーションにより、多くの運河は埋め立てられ、運河ボートの数は次第に減り、人々の交通手段は船からバスや鉄道に変わった。

 
バンコク市内の道路は「ソイ」と呼ばれる小道と「タノン」と呼ばれる大通りから構成されている。ソイの入り口は「パーク・ソイ」と呼ばれ、屋台が並んだりバイクタクシーが待機している。なぜかソイは袋小路の行き止まりが多い。これを川に例えてみると「タノン」は川の本流にあたり「ソイ」は支流の運河になる。車社会の現代においても昔ながらの川を基本とした生活をしているかのようである。

 
タイ語で「ナム・チャイ」という言葉がある。直訳すると「水の心」という意味だが、意訳すると「思いやり」という意味になる。
運河が埋めた立てられ、日常の足も車や鉄道に変わりつつある。BTSのエスカレーターを駆け足で上がってゆくタイの人たちを見ると「タイの人たちもせっかちになったんだなぁ」と思ってしまう。

 
最近では精神的疾患を患う人も増えてきたと聞く。水との距離が離れるにつれ、タイの人たちからも「ナム・チャイ」が無くなってしまうのだろうか。ふとそんな事を思う時がある。バンコクの渋滞や雑踏に疲れたとき、フラリと運河ボートに乗ることがある。きっと自分の中でも「ナム・チャイ」が失われつつあるのかも知れない。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
プラカノン運河の日常風景

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
プラカノン運河、バンコクの中心部ながら緑が多い

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
センセープ運河を行き交う運河ボート

 

005
ロングテイルボートも活躍の場所が減りつつある

 

熱帯写真家フォトエッセイをもっとみる>>

 

何をむ?

国名・都市名、ジャンルを選ぶと、読みたい記事を絞りこみできます