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ベトナムの歴史を世界遺産で追う

ホイアン   photo:世界遺産イェーイ!

毎年日本人観光客が増え続けている、魅力あふれる旅先ベトナムは、古くは中国、近代ではフランスなど多くの国に支配されてきました。また地域で分断された時代が多かったため、ベトナムの歴史は少々複雑でわかりにくいものとなっています。今回の記事では、文化遺産5件と複合遺産1件、合計6件の世界遺産に焦点を当て、ベトナムの歴史を簡単に見ていきます。

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1.ミーソン聖域【中部】
長~い間続いたチャンパー王国が築いたヒンドゥー遺跡
チャンパー王国(2世紀末-19世紀頃)

まず初めにご紹介するのは、4世紀頃に作られたチャンパー王国のヒンドゥー遺跡、ミーソン聖域です。

とにかく暑いので水分補給をお忘れなく   photo:世界遺産イェーイ!

チャンパー王国誕生以前ベトナム北部と中部は中国の支配下にありました。2世紀に中部フエ地方でチャム人が興した海洋国家がチャンパー王国。チャンパー王国は貿易の拠点となったことから繁栄を誇り、4世紀頃にはヒンドゥー教を厚く信仰したバードラヴァルマン1世によって、シヴァ神の神殿など数々の宗教施設が建てられました。それが世界遺産「ミーソン聖域」なのです。

鬱蒼としたジャングルのなかに佇む遺跡   photo:世界遺産イェーイ!

このチャンパー王国は、長く続きましたがずっと繁栄していたわけではなく、15世紀頃にはベトナム北部の国家に押されて力を失っていました。後ほど登場する世界遺産ホイアンは、チャンパー王国時代に中国やインドを結ぶ中継貿易地点として栄えた都市です。

ちなみに4世紀頃、中部にあるチャンパー王国以外はどうなっていたのでしょうか。ベトナム北部は中国の支配下にあり、南部はメコン川流域に栄えた「扶南(現代のカンボジア)」という国でした。ベトナム南部は19世紀に阮朝が誕生するまで、カンボジアの一部である時代が長かったのです。

ミーソン聖域 (文化遺産)
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・登録:1999年
・登録基準:「文化交流」、「文明の証拠」
・アクセス
成田からダナンまで直行便で約5時間半。ダナンから車で約2時間。

 

2.チャン・アンの景観美関連遺産群【北部】
丁(ディン)朝の都であったホア・ルーの寺院や仏塔を見に行こう!
丁朝(968年-980年)

初代皇帝ディン・ティエン・ホアンの祠   photo:ひさほ ゆう

2番目にご紹介するのは、東南アジア唯一の複合遺産チャン・アンです。

中部ではチャム人によるチャンパー王国が隆盛を誇っていた10世紀、ベトナム北部ではいくつかの王朝を経て、ベトナム人による丁(ディン)朝という独立王朝が誕生。都は初代皇帝ディン・ティエン・ホアンの故郷であるホア・ルー(現在のニンビン)に置かれました。古都ホア・ルーの寺院や水田地帯が世界遺産です。

世界遺産「チャン・アンの景観美関連遺産群」は文化遺産と自然遺産両方の価値を持つ複合遺産。チャン・アン一帯は、石灰岩で構成された大地が水に浸食されてできたカルスト地形となっており「陸のハ・ロン湾」とも呼ばれる景勝地です。こういった自然の景観美も世界遺産に登録された理由のひとつ。ボートに乗っての観光は国内外の観光客から人気を集めています。

手漕ぎボートで観光   photo:ひさほ ゆう

丁朝は短命政権で980年に滅びましたが、ホア・ルーは1010年にハノイに遷都されるまで、都であり続けました。

チャン・アンの景観美関連遺産群 (複合遺産)
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・登録:2014年
・登録基準:「伝統的集落」、「自然の景観美」、「地球の歴史」
・アクセス
日本からハノイまで直行便で約5時間半。ハノイからニンビンまでバスで約1時間半。ニンビンからボートツアー。

 

3.ハノイ-昇龍(タン・ロン)皇城遺跡の中心地【北部】
ベトナム歴代の王朝が都を置いたハノイ
李朝~ (1010年~)

3番目にご紹介するのは、現在もベトナムの首都であるハノイです。

第一城壁にある正門「端門」   photo:ひさほ ゆう

丁朝の滅亡後、前黎(レー)朝を経て、1009年にリ・コン・ウァンがベトナム初の長期王朝「李朝」を樹立。翌年の1010年に都がホア・ルーから昇龍(タン・ロン 現在のハノイ)に移されました。それ以後1802年フエに遷都されるまで、ハノイは長い間政治の中心地として繁栄しました(短期間の遷都などを除く)。

「敬天殿跡」龍の手すりの石階段の上に皇帝の宮殿があったそう   photo:ひさほ ゆう

中国などから影響を受けた歴代の王朝の遺跡が残されているのが特徴です。

ハノイ-昇龍(タン・ロン)皇城遺跡の中心地 (文化遺産)
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・登録:2010年
・登録基準:「文化交流」、「文明の証拠」、「出来事や宗教、芸術」
・アクセス:ハノイ市内。ホーチミン廟から徒歩約15分。

 

4.胡朝の要塞【北部】
わずか7年で滅んだ胡(ホー)朝。要塞の跡を見に行こう。
胡朝(1400年-1407年)

4つ目にご紹介するのは、ハノイ近郊の少々マニアックな世界遺産「胡朝の要塞」です。

南門   photo:ひさほ ゆう

ベトナム北部では、李朝、陳朝と長期政権が続きましたが、1400年に胡氏が政権を奪います。ハノイ近郊タインホアに首都を置いた胡朝は、7年間と短命でしたが、高い建築技術を持っていたことで知られており、残された門や要塞からそれをうかがい知ることができます。

城壁   photo:ひさほ ゆう

胡朝は、1407年中国・明の永楽帝によって滅ぼされます。その後中国統治時代、黎朝、分断の時代などが続き、世界遺産フエを都とするベトナム最後の王朝阮(グエン)朝の時代が始まります。

胡朝の要塞 (文化遺産)
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・登録:2011年
・登録基準:「文化交流」、「建築技術」
・アクセス:ハノイから車で3時間。車のチャーターが便利。

 

5.フエの歴史的建造物群【中部】
西洋と東洋の融合!ベトナム最後の王朝にタイムスリップ
阮朝(1802年-1945年)

5番目に紹介するフエを都とする阮朝時代に、ベトナムは北部、中部、南部が統一され現在とほぼ同じ国土となりました。

中国風で絢爛豪華なミンマン帝陵の崇恩殿   photo:ひさほ ゆう

16世紀からベトナムは分断の時代になり、北部はチン氏、中部は阮(グエン)氏が実権を握っていました。そして中部の阮氏はベトナム南部を併合することに成功。カンボジアの一部だったベトナム南部が、阮氏によってベトナムに組みこまれたのです。そして1802年ベトナム最後の王朝阮朝が誕生、嘉隆(ザーロン)帝が即位し都はハノイからフエに移ります。

王宮   photo:ひさほ ゆう

フエの王宮は、北京の紫禁城(故宮)の4分の3の縮尺でつくられたと言われています。阮朝は中国の王朝、清(しん)の制度を取り入れて国家体制を整えていました。

カイディン帝陵   photo:世界遺産イェーイ!

阮朝は1802年から1945年まで続きましたが、その途中1887年フランスがフランス領インドネシア連邦を成立。ベトナムもカンボジアと共にフランスの植民地となりました。そのためフランスの影響を受けた建造物が多く残されています。

第二次世界大戦後、冷戦に巻き込まれたベトナムは南北に分断されベトナム戦争が始まってしまいます。1976年戦争が終わり、南北統一されたベトナム社会主義共和国が誕生し現在に至ります。

フエの歴史的建造物群 (文化遺産)
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・登録:1993年
・登録基準:「文明の証拠」、「建築技術」
・アクセス:
日本からハノイまで直行便で約5時間半。ハノイからフエまで飛行機で約1時間。フエから1日のツアーが便利。

 

6.古都ホイアン【中部】
ノスタルジックタウンを歩きながらベトナムの歴史を振り返る

photo:ひさほ ゆう

最後に紹介するホイアンは、ベトナムの歴史上どの時代においても重要な都市。チャンパー王国の時代には中国やインド、アラブを結ぶ中継貿易都市として、15世紀から19世紀にかけてはヨーロッパとの交易の中心地となり、ベトナムの経済を支え続けてきました。

ホイアンは様々な国の文化の影響を受けたノスタルジックな街並みが魅力。16世紀~17世紀には朱印船貿易の中継地点として多くの日本人が移住し日本人町も形成されました。

来遠橋   photo:ひさほ ゆう

江戸幕府による鎖国後、日本人町は衰退し、中国系の移民が増えていきます。18世紀西山党の乱(タイソン党の乱)により街は全焼。現在残された街並みは19世紀以降、阮朝時代に再建されたもの。その後土砂の堆積などでホイアンに大型船が寄港できなくなったこともあり、ダナンに国際貿易港としての座を譲り、現在ではダナンが中部最大の商業都市となっています。

古都ホイアン (文化遺産)
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・登録:1999年
・登録基準:「文化交流」、「伝統的集落」
・アクセス:
ダナンからホイアンまで車で約1時間。

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