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東南アジアと日本の交流史を世界遺産で追う

アンコール・ワット photo:世界遺産イェーイ!

現在でも強いつながりを持つ東南アジアと日本は、朱印船貿易に代表されるように古くから交流がありました。今回の記事では、東南アジアにある日本人が生きた証が残された世界遺産をご紹介しながら、交流の歴史を簡単に振り返っていきたいと思います。

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奈良時代

東南アジアと日本では同じような内容の神話が語り継がれていることなどから、先史時代から交流があったと考えられています。

突然ですが、この和歌をご存じでしょうか?

『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』

百人一首にも選ばれているこの歌は、奈良時代の遣唐使(日本が唐に派遣した使節) 阿倍仲麻呂が、唐で日本を懐かしんで読んだと言われるものです。

仲麻呂は唐だけではなくベトナムのハノイ周辺で知事のような仕事をしていたとも言われています。というわけで最初にハノイ市内にある世界遺産「タンロン遺跡」をご紹介します。実は仲麻呂が活躍したのは8世紀なので、タンロン遺跡が作られたよりも昔の話になります。

 

ハノイ-昇龍(タン・ロン)皇城遺跡 第一城壁にある正門「端門」:ベトナム

昇龍(タン・ロン)皇城遺跡 photo:ひさほ ゆう

ハノイ市内にある世界遺産「ハノイ-昇龍(タン・ロン)皇城遺跡の中心地 」には、中国などから影響を受けた歴代の王朝の遺跡が残されています。ハノイは長い間、唐によって支配されていましたが、1009年にリ・コン・ウァンがベトナム初の長期王朝「李朝」を樹立したことによりベトナムの都となりました。

「敬天殿跡」龍の手すりの石階段 photo:ひさほ ゆう

秀才として知られた阿倍仲麻呂は、遣唐使として唐の都、長安(現在の中国の西安)に留学。仲麻呂は大変重用され、唐の玄宗皇帝の側近として活躍することになります。一度は帰国しようとした仲麻呂ですが、船が暴風雨に巻き込まれベトナムに漂着後、唐へ戻りました。その後ハノイで知事のような仕事を務めた後、また唐へ戻り、結局彼は日本に戻ることのないまま唐で生涯を終えます。

遂に故郷に戻ることのなかった仲麻呂に思いを馳せながらハノイを観光してみるのも一興です。

 

ハノイ-昇龍(タン・ロン)皇城遺跡の中心地

登録 2010年
登録基準 「文化交流」、「文明の証拠」、「出来事や宗教、芸術」
アクセス 日本からハノイまで直行便で約5時間半。ハノイ市内、ホーチミン廟から徒歩約15分。

 

朱印船貿易で日本と交流!江戸時代初期

その後室町時代、安土桃山時代にかけて日本と東南アジアとの交易は盛んになってきます。江戸時代初期には海外渡航許可の朱印状をもつ朱印船による海外貿易が盛んになり、各地に日本人町が形成されました。ここで、朱印船貿易で日本と交流があったことを示す世界遺産を3件ご紹介します。

 

古都ホイアン:ベトナム

まずは、ベトナムにある人気上昇中の世界遺産、ホイアンをご紹介します。ホイアンは16~19世紀に中国、インド、アラブを結ぶ中継貿易の拠点として栄えた港町。16世紀~17世紀には日本との朱印船貿易の中継地点として栄え、かつては日本人町も形成されました。

夜の来遠橋(日本橋) ©TRIPPING!

ホイアンのシンボル的存在でもある来遠橋は、日本の職人が作ったと言われていることから「日本橋」とも呼ばれています。ベトナムの2万ドン札の裏に印刷されています。

photo:ひさほ ゆう

ホイアンは街が丸ごと世界遺産として登録されており、様々な国の文化の影響を受けたノスタルジックな街並みが魅力。のんびりと街歩きを楽しみながら、日本の面影を感じてみてはいかがでしょうか? またホイアン市内からバイクタクシーで数分のところには、日本人の墓もありこちらもぜひ訪れたいところです。

 

古都ホイアン

登録 1999年
登録基準 「文化交流」、「伝統的集落」
アクセス 成田からダナンまで直行便で約5時間半。ダナンからホイアンまで車で約1時間。

 

アユタヤと周辺の歴史地区:タイ

ワット・プラ・シー・サンペット photo:世界遺産イェーイ!

次に、タイの世界遺産アユタヤをご紹介します。「平和な都」という意味のアユタヤは、14世紀半ばから400年以上も栄えた王朝。朱印船貿易による日本との交流も盛んで、最盛期には2000人から3000人ほどの日本人がアユタヤに居住し日本人村を形成しました。

3つの川の合流地点にあったアユタヤは、東南アジア最大の貿易の都として繁栄を誇ります。歴代のアユタヤ王が建設した寺院は見どころ満載。3人の王が眠るアユタヤ最大の寺院「ワット・プラ・シー・サンペット」や、クメール様式の丸みを帯びた仏塔が美しい寺院「ワット・ラチャブラナ」などは必見です。

ワット・ラチャブラナ photo:世界遺産イェーイ!

アユタヤを語る上で外せないのが「山田長政」です。江戸時代初期、日本で生まれた山田長政は朱印船に乗ってタイへと渡りました。アユタヤ王に大変重用され、日本人村の頭領として活躍しますが、彼もまた日本に帰国することなく、タイで毒殺されてしまいました。

日本人村 写真提供:タイ国政府観光庁

現在もアユタヤ郊外にある日本人村で、山田長政の功績に触れることができます。日本人村ではアユタヤ時代の様子をVR体験できるので、アユタヤを訪れたらぜひ足を延ばして下さいね。

アユタヤと周辺の歴史地区

登録年 1991年
登録基準 「文明の証拠」
アクセス 日本からタイの首都バンコクまで直行便で約7時間。バンコクからアユタヤは車、電車で約1時間半

 
さてここでもうひとつ、江戸時代初期に日本と東南アジアとに交流があったことを示す世界遺産をご紹介したいと思います。

photo:世界遺産イェーイ!

ちょっとわかりにくいのですが、こちらは江戸時代初期1632年に、森本右近太夫一房という武士がアンコール・ワットに残した落書きなんです!400年近く前に日本人がアンコール・ワットを訪れていたのです。

 

アンコールの遺跡群:カンボジア

アンコール・ワット photo:世界遺産イェーイ!

実はカンボジアもまた朱印船貿易の相手国であったため、日本と交流があったのです。森本右近太夫一房は平戸藩(長崎県平戸市)の武士でした。平戸港は国際貿易港だったため、彼は朱印船に乗ってカンボジアに行くことができたようです。

photo:世界遺産イェーイ!

落書きには、森本右近太夫一房の父の菩提を弔う言葉などが記されているそうですが、実際には上から墨で塗りつぶそうとした痕跡があるため、文字を読むのは少々難しいです。

こちらの落書きはアンコール・ワットの十字回廊に残されています。ちょっと探すのが大変ですが、江戸時代初期に日本とカンボジアが交流し、実際に行き来をしていたことを示す貴重な落書きなので、ぜひ探してみてくださいね。

 

アンコールの遺跡群

登録年 1992年
登録基準 「人間がつくった傑作」、「文化交流」、「文明の証拠」、「建築技術」
アクセス 日本からプノンペンまで直行便で約6時間半。プノンペンからシェムリアップまで飛行機で約45分。その他タイのバンコク、ベトナムのハノイ、ホーチミン経由も可能

 
その後17世紀前半より徳川幕府による鎖国政策が開始され、朱印船貿易は終末を迎えます。日本人町は衰退し東南アジアと日本の交流は、ほとんどなくなってしまいます。

 

近代

明治維新後、東南アジアと日本は交流を再開し貿易が盛んになります。第二次世界大戦後を経て現在では協力関係を築いています。

アンコール・トム photo:世界遺産イェーイ!

世界遺産というところでは、日本は遺跡の修復などに技術、資金面等で協力しています。カンボジアのアンコール遺跡やインドネシアのジャワ島にあるボロブドゥール寺院などは、その代表的なものです。

ボロブドゥール photo:世界遺産イェーイ!

ご紹介してきたように東南アジアと日本は、先史時代から交流を続けてきました。そのため東南アジアの各地には、日本を感じることのできるスポットがたくさんあります。東南アジアの世界遺産で「日本」に触れてみる旅はいかがでしょうか。

(text : 鈴木かの子)

 

【連載】世界遺産のプロが教える! 東南アジア イェーイな旅

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